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突然できた私のパートナー


茨城県 清水真希さん

二〇〇四年、冬。
寒いはずなのに、目が覚めると背中に流れるくらいの汗をかいている。体が鉛の様に重たくて、頭の重さは本当にひどい。これが毎朝の様に続いていた。夕方を過ぎると、体が時々熱くなってボーっとする。立ちくらみやめまいもひどかった。
『疲れているのカナ』
そう思っていた私に、
「真希、最近トイレと飲み物の量が多過ぎだよね。もしかして糖尿?」
私の周りには糖尿病の人がいなかったせいもあって、私はこれから先“パートナー”となるこの病名も病気の内容も知らないでいた。冗談のつもりで偶然立ち寄ったドラッグストアで尿糖検査用試験紙を買い、友人と試してみた。先に試した友人の試験紙は黄色のままで陰性だった。
「緑になったらどうするぅ?」
そんな冗談を言いながらトイレに入った。
『黒?』
その試験紙を見て初めて自分は病気なんだと知った。目の前の試験紙は、陽性である緑よりもさらに濃い色をしていた。

二〇〇五年、春。
あの後すぐ病院には行かなかった。私のその当時していた仕事は、朝の九時~夜の九時までと病院に行ける様な時間帯ではなく、休みも月に一度か二度日曜日にとれるかとれないかだったので病院も休診日だったし、何より『TVなんかでよく聞く病気だから問題ないでしょう』
そう思って甘く見ていたから作れる時間を作らないでいたのが大きな理由の一つだった。だから病院で糖尿病がどんな病気なのか聞いた時には正直ビックリしたし、戸惑った。
一日に四本の注射が死ぬまで一生。
月に一度の定期検診。
そして、合併症。
看護師さんは言った。
「自分次第で良くも悪くもなる病気なの。だから、うまく付き合って行けさえすれば大丈夫なのよ」
この日、病院の中で病気の話を聞きながら私は何を考え感じていたのか思い出せない。ただ、隣で同じ内容の話を聞く母を少しでも安心させようと精一杯平然をよそおっていた事だけは覚えている。

病院を受診したその日に、そのまま教育入院となった私の生活はこの日を境に変わった。食事療法は一日三食、1500キロカロリーの食事をとる。朝食をとらなかった私の生活はもうない。元々、間食はよほどの事がない限りする事があまりなかったのでそれについての問題はなかった。私的に問題だったのはアルコールと外食。二十一歳の私の楽しみは友達との飲み会や外食、つまり友達と遊ぶ事だった。その楽しみを失った気がした。そして、一日四本の注射。幸い、注射は嫌いじゃなかった。小さい頃に、弱年性リウマチという膠原病にかかり検診の度に採血をしていたので慣れていたせいなのか、自ら献血に行くくらいなので注射に対しての不安はなかった。ただ想像がつかなかった。食前に薬を飲む事だったら想像もつくけど、薬じゃなくて注射を自分で自分に打たなければならない。今まで生きてきて見た事も聞いた事もない生活にすぐには慣れる事ができなかった。入院中、面会時間が終わり独りになると、本当に色んな事を考え、悩み苦しんでもがいていた。

その出口がなく、もがき苦しんでいた私の背中を押してくれたのは母の言葉だった。
「真希は小さい頃から体が弱いのに無理をしすぎるから、神様が体を休ませる為に、これから先ももう無理をしすぎない様にこの病気をくれたんだよ」
そして友人のくれた詩だった。
“神様はね 乗り越えられる人にだけ 壁を与えるんだよ”
神様が私にはこの病気が乗り越えられると思い私を病気にしたなら、乗り越えてみせる。神様がもっと自分の体を大切にしなさいと私をこの病気にしたなら、私の体、私のこの命は大切にしていくんだ。と思えるようになった。そして、入院をする事でお見舞いに来てくれたり、来られなくても心配して電話やメールをくれる友人達や家族から元気をもらった事、心配の中にも愛を感じる余裕もできてきた。

突然できたパートナーに戸惑う事もあったし、これからもあるのかもしれないけど、今はこのパートナーを受け入れ前向きに頑張っています。このパートナーと出逢わなければ気付けなかった大切な事が自分のすぐ側や身近に、そして生活の中にたくさんたくさんあるからです。
できる事なら何かを失う前に色んな事の大切さに気付き大切にできたらと強く感じます。一人でも多くの人に、色んな事の大切さを感じながら生きていって欲しいと、もう昔の生活には戻れない私は感じながら生きています。


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