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ハゴロモジャスミン


大阪府 加藤雅子さん

香りが勝負の花「ハゴロモジャスミン」
春になると清楚な白い花をたくさんつける。生命力にあふれ、勢いよく育つ姿が好き。
私は毎年、この花を庭いっぱいに咲かせる。

重さ60グラム、長さ162mmのペン型の注射器が、今、わたしの手の中にある。7年前から、わたしの命を支えてくれているインスリン注射器である。
ある日のレストラン。テーブルの下でゴソゴソと注射の空打ちをしようとしたが、薬の量の単位設定に失敗。いつもより多めにインスリンを空中に飛ばしてしまった。
普段は感じないのにこの時は、ツンとする匂いがあたりに漂った。「香りが勝負の花」の匂いに似ていると、そのとき思った。大切なものに名前をつける癖のある私は注射器を「ハゴロモジャスミン」と名づけた。

1999年夏、ダイエットもしていないのに体重がひと月で12キロも減ってしまった。
鏡に映る自分の顔が見えないほど目がかすむ。体が異常にだるく、歩くのもやっとの状態になり、病院を受診した。診察室で若い医師が、乾いた声で言った。
「1型糖尿病です。これからずっとインスリンを打ち続けなくては生きて行けませんよ。すぐに入院を……」
医師から病名を告げられ、死の縁に立たされた。不気味な空気が私を包み、驚きと不安で体が震えた。医師の横に立つ、若い看護師は私に目を合わせない。深刻そうな彼女の表情が、私の病の重さを語っている。

院内の糖尿病教室で合併症の恐ろしさを知った。初めての自己注射では、なかなか針を刺す勇気が出なかったが、やってみると案外簡単だった。注射の痛みにはすぐに慣れた。
だが、予測がつかない血糖の動きに神経がすり減っていく。ガリガリの体を病院の浴室で人から見られるのが、嫌でたまらなかった。浴槽に体を沈めると肉の削げた骨盤の骨が、直接当たるようで痛い。鎖骨に手をやるとメダカを飼えそうなくらいの陥没度。
トイレの鏡で久しぶりにまじまじと自分の顔を見た。輝きのない瞳、痩けた頬、他人の顔になっていた。

退院して1年半が過ぎた。医師から指示を受けた厳しい食事制限を守り、努力しているのに血糖コントロールは、うまくいかなかった。体重はちっとも増えず、胸のあばら骨は見えたまま、生理も止まったままだった。摂食障害を起こし、精神的、肉体的にも極限状態だった。
2000年10月、同じ1型糖尿病を持つ開業医、南昌江先生のことを知った。私は早速、福岡市にあるクリニックを訪ねた。
「1型糖尿病でも何でも出来ますよ」
先生の声はほっこりと丸かった。涙が頬をつたい、カチカチだった心が柔らかくなっていった。闇の中、険阻な坂道に立ちすくむ私の前にポッと暖かな灯りがともった。
個人の生活に合わせたインスリン療法の指導を受け、窮屈だった生活が一変した。同じ病気の仲間もたくさん出来た。運動時の血糖コントロールは容易ではないが、ストリートダンスを踊る壮快な時間も蘇った。

体重も少しずつ増え、半年で元通りになった。生理も始まった。やっと女性に戻れた!その日は赤飯を炊いてお祝いをした。
走ることが苦手で子どもの頃、徒競争はいつもビリ。マラソンなんて、テレビの前でゴロゴロしながら見るものだと思っていた私。
南先生が数年前から参加、完走をされているホノルルマラソンに興味を抱き、私も挑戦してみよう! とトレーニングをはじめた。

一日目はフーフーいいながらやっと10分走っただけ。それが地道に練習を重ねていくうちに3時間もノンストップで走れるようになった。足のマッサージを受けていると「いい筋肉ですね」心電図をとると、「スポーツ心臓なみですね!」とほめられる。鍛えあげた自分の体を見るのは、痛快な気分だ。
トレーニング中のひどい低血糖症で不安に陥ったこともある。が、途中であきらめ、自信をなくすことが怖かったから、必死で走った。先生と一緒にゴールの感動を味わいたい!の一心で目標の700キロを走りきった。食らいついたら、絶対に離さないスッポンのような根性を私は手に入れた。

2004年12月、初ホノルルマラソン。途中、低血糖症で苦しんだが、5時間42分で完走。翌2005年は体調を崩すことなく、5時間13分で完走した。2006年も南先生や仲間と三度目のホノルルマラソンのゴールを目指す。潔く強い自分に会うために。

今、私は1型糖尿病と共に生かされている。一瞬、一瞬が。一日、一日が重くて愛しい。
注射を打って「ハ・ゴ・ロ・モ・ジャ・ス・ミ・ン」と唱え、おなかに差した針を離す。
すると、いい香りが体中に広がり、力がみなぎってくる。なんとも不思議だ。


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