時代を先取りしてきた ノボ ノルディスクの経営

一橋大学大学院特任教授 名和高司

名和高司一橋大学大学院特任教授とオーレ ムルスコウ ベック社長

企業の社会性を重視する、新たな経営スタイルを提唱する名和高司 一橋大学大学院特任教授をお招きして、オーレ ムルスコウ ベック社長と経営理念について語り合っていただきました。

Photograph : Masato Kato

No.1 2017

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名和高司一橋大学大学院特任教授(以降、名和):ノボ ノルディスクさんとご縁をいただいたのは、私が経営コンサルタントとしてクライアント企業の提携先を探していた二十数年前のことでした。その時私が最も驚いたのは、糖尿病に関わる日本の医師たちから御社が、単に薬を売る会社ではなく、ともに糖尿病と向き合う「仲間」とみなされているということでした。

オーレ ムルスコウ ベック(以降、ベック):ありがとうございます。当社は糖尿病治療薬の分野で世界をリードしていますが、創業の目的はそもそも「できるだけ薬をたくさん売ること」ではなく「患者さんを助けること」だったのです。ですから私たちの仕事は、糖尿病が重症化しないようにサポートすること、そして糖尿病や合併症で苦しむ人ができるだけ少なくなるように、糖尿病予防のための啓発活動をすることだと考えています。おそらくそこが、糖尿病ケアのコミュニティで私たちが仲間として受け入れていただけている理由ではないかと思います。

名和:しかし、啓発によって患者が少なくなることは御社のビジネスにとってマイナスでは?

ベック:たしかに患者が増えたほうが売上が増えるだろうに、とよくいぶかしがられます。しかし現在、糖尿病患者は世界で4億人以上、2040年には6億人を超えると予測されます。それだけの医療費を社会は負担しきれません。こうした状況で私たちのすべきことは、糖尿病に新たにかかる人の数を減らし、かかってしまった人には、手に入る最高の薬を提供することだと思います。それが糖尿病の人々にとって最適な医療となるだけでなく、社会にとっても医療費抑制の一助となり、同時に私たちのビジネスもより確実なものにしてくれると考えています。

名和:なるほど、社会の利益と自社の利益とが一致していますね。御社は以前から、経済面だけでなく社会面、環境面からも自社の業績を評価するために「トリプルボトムライン」(TBL)というフレームワークを採用されていますが、それがこうした考え方のベースになっていることがよくわかりました。では、環境面に強くコミットされるのはなぜなのでしょう。御社の事業は環境にそう大きなダメージを与えてはいないように思いますが。

ベック:天然資源を使い尽くすような事業運営をしていたら、いつかは私たちも事業を継続できなくなります。自社のためにも、そして社会全体のためにも、環境面での努力は極めて重要なものだと考えています。すでにデンマークの工場で使用する電力はすべて再生可能エネルギーで賄われていますし、現在の全世界の工場の再生可能エネルギー率は78%となっています。日本では郡山に工場がありますが、昨年、使用する電力では二酸化炭素排出量ゼロを達成できました。2020年までには日本を含めた世界のすべての自社工場で電力を100%再生可能エネルギーにするという目標を掲げています。

世界一幸せな国の企業経営が世界をリードする

名和:デンマークは国連の世界幸福度ランキングで何度も1位を獲得していますが、ベックさんはその理由はどこにあると思われますか? 

ベック:「デンマークは気候も税率も最悪なのに」とよく言われます(笑)。しかしデンマークでは、医療、教育、老後は国が面倒を見てくれますから、人々は将来の心配をする必要がありません。仕事を選ぶときにも何を決めるにも、本当に自分がしたいことを基準に考えることができる。これが大きな理由の一つではないでしょうか。

名和:従来、高負担・高福祉の「ソーシャリズム」と自由競争・自助努力を旨とする「キャピタリズム」は対立する概念だと思われてきましたが、最近は目先の利益を追求する資本主義が少し修正され、ソーシャルな方向へとシフトしようとしています。企業経営の世界では今、自社だけ勝てれば良いというのではなく、環境、社会、企業統治の三方向に目配りをして経営をする「ESG (Environmental,Social and Governance)経営」が注目を浴びています。御社はずいぶん前からこれを、TBLというフレームで実践してこられたんですね。

ベック:そうですね、それが自社のサステナビリティ(持続可能な経営)につながると思っています。糖尿病の分野ではまだ満たされていない多くのニーズが残されていますし、当社はそこで貢献できます。長期的に事業を運営し続けることが、自社のためにも社会のためにも大事なことだと思っています。

名和:しかし、株主(投資家)からは「社会貢献もいいが、まずは利益を出すことを優先しろ」と言われませんか?

ベック:実は、投資家の方々からは、財務に関する質問より、社会・環境面に関する質問を受けることがますます増えています。投資家の多くは企業が長期にわたって繁栄を続けていけるかどうかを重視しています。そのカギは、企業の製品を買うお客さまが握っているのですから、投資家は何より消費者の行動を注視します。そして今、消費者の行動は変わってきています。社会的な責任に無頓着な企業の製品に対しては、不買運動が起きることも珍しくなくなりました。そうした消費者の行動の変容を企業自身も感じて変化しつつありますし、投資家もそこを見ているのだと思います。

「長期」と「短期」をつなぐ視点

名和:御社が経営理念を説明する資料の中に、4つの視点の組み合わせで自社の価値をとらえる図(下)があり、非常に興味深く拝見しました。短期のマイナスとしては「コスト」が、短期のプラスとしては例えば利益などの「目に見える価値」があり、長期のマイナスとしては「リスク」がある。そして長期のプラスとして「目に見えない価値」がある、とされています。この「目に見えない価値」とは何をさしているのでしょう?

トリプルボトムライン 長短期 プラス面最大化 マイナス面最小化 図版

ベック:一言でいうなら「企業ブランド」です。当社では自分たちが社外から、そしてすべてのステークホルダーから見てどうあるべきかという目標を策定し、実際にどのように見られているかを常にモニターしています。企業ブランドの維持や向上にはコストがかかります。短期的に見れば「赤字」になることもあるかもしれません。しかしこれは当社が長期にわたって事業を行なっていくための「投資」だと考えています。

名和:たしかに、「短期的な利益」と「無形の価値を築くための長期的投資」を対立するものととらえるのは狭い考え方ですね。長期と短期、そして自社と社会・環境はつながっている。その「つながり」を意識した経営をされている点で、御社は極めて先進的だと思います。日本にも昔は近江商人の「三方良し」のように、自分も相手も世間も満足する商売が良い、という哲学が息づいていたのですが、この精神を思い出すべきだと思いますね。

ベック:日本に来て最も驚いたのは、銀座のようにたくさんの人が行き交う交差点でも、誰一人としてぶつかることなく歩いていることでした。スマートフォンを見ながら歩いているときでもです。デンマーク出身の私には、まるで神業のように思えます。誰もが常に周りの人に目配りをしているからできることなのでしょうね。こうした細やかな目配りは、お客さまや株主はもちろん、関係先や従業員、工場の近隣に住む人まで、すべてのステークホルダーへの目配りが重要な現代の企業経営においても、強みとなる美質ではないかと思います。

名和高司一橋大学大学院特任教授とオーレ ムルスコウ ベック

社会との対話と議論でも日本に貢献したい

名和:「三方良し」とセットになる考え方で「陰徳善事」というものがあります。自分がなした善事をことさらに言い立てるのは良くない、という美意識ですが、デンマークにもそれとよく似た「ジャンテの法則」というものがあるそうですが。

ベック:ええ、自分の善行を宣伝するものではない、という文化があります。日本人とデンマーク人には共通するマインドも多々ありますね。ただ、今の環境問題や糖尿病ケアは世界全体で共有すべき課題ですから、企業はむしろベストプラクティスを発信し、企業と企業、企業と政府、企業と個人が対話を重ねていかなくては解決に近づいていけないと思います。当社はそうした対話と議論という面でも、日本に貢献したいと思っています。

名和:おっしゃる通りです。日本にも、いいことをしているのに発信が足りない企業がたくさんある。その面でも日本の企業にとって、ノボ ノルディス クさんはいいお手本になってくれるのではないかと期待しています。

(構成・江口絵理)

名和高司一橋大学大学院国際企業戦略研究科 特任教授

名和高司

一橋大学大学院国際企業戦略研究科特任教授。東京大学法学部卒、ハーバード・ビジネス・スクール修士。三菱商事、マッキンゼーを経て2010年6月より現職。近著に『CSV経営戦略』(東洋経済新報社)、『成長企業の法則』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など

オーレ ムルスコウ ベック

オーレ ムルスコウ ベック

ノボ ノルディスク ファーマ株式会社 代表取締役社長。1959年、デンマーク生まれ。コペンハーゲン大学医学部卒業、スカンジナビア国際経営研究所MBA取得。オーフス大学薬理学部でのリサーチフェロー、病院でのインターンを経て、1990年にノボ ノルディスクに入社した。 さまざまな領域で数々の役職を歴任し、2016年1月1日より現職

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