ノボ ノルディスクの創設者

ノボ ノルディスクの創設者

アウグスト クロウ(1874~1949年)とマリー クロウ(1874~1943年)

 

アウグスト クロウ、マリー クロウ夫妻

ノルディスク インスリン研究所は、1922年の秋にアウグスト クロウと妻のマリーが船でアメリカ合衆国にやって来たところから始まりました。アウグスト クロウはコペンハーゲン大学の教授で、1920年にノーベル生理学賞を受賞しています。イエール大学の研究者がアウグスト クロウに、自身の医療研究について合衆国で講演をしてほしいとリクエストしたことにより、夫妻は合衆国に招待されたのでした。

 

夫妻は合衆国に向かう旅路で、1921年にカナダ人の研究者のバンティングとベストの2名が発見したホルモンの一種であるインスリンによって、糖尿病を患う人々が治療を受けている話を耳にしました。マリー クロウはその治療に深く関心を抱きました。マリー自身も医師であり、1914年に医学博士号を修得した4人目のデンマーク人女性でした。彼女は診療を行う研究者で、複数の1型の糖尿病患者を診ていた上に、マリー クロウ自身も2型糖尿病を患っていたのです。糖尿病患者の命を救うインスリンを初めて抽出できたトロント大学に連絡を取るように夫に提案したのは、他ならぬマリーでした。

 

インスリン製造許可

合衆国に滞在している間、アウグスト クロウは、インスリンが初めて抽出されたトロント大学研究所所長のマクラウド教授に手紙を書きました。

 

その手紙は大変歓迎され、トロントでの会合を経た夫妻は、この糖尿病患者の生命を救うインスリンを北欧で製造・販売する許可を携えて、1922年12月にコペンハーゲンに戻りました。アウグスト クロウはデンマーク人の医学博士であるハンス クリスチャン ハーゲドンと提携し、デンマークの薬剤師のアウグスト コンスタットからの資金援助を得て、ノルディスク インスリン研究所を創設しました。

 

ハンス クリスチャン ハーゲドン(1888~1971年)

ハンス クリスチャン ハーゲドン(1888~1971年)

 

ハンス クリスチャン ハーゲドン

マリー クロウは、極めて正確に血糖値を計測する手法を薬剤師のノーマン イェンセンとともに開発した、医師仲間のハンス クリスチャン ハーゲドンに宛てて、合衆国からコペンハーゲンに送った手紙に次のように書いています。

 

「あなたがこの治療に興味を持つだろうと思いましたので、夫からトロント大学のマクラウド教授に手紙を書いて、その製造方法を入手できないか、そしてあなたがデンマーク国内で研究ができないかを尋ねることにしました」ハーゲドンはその案に大変乗り気になりました。

 

初のインスリン

クロウ夫妻がコペンハーゲンに戻った翌日、クロウとハーゲドンは徹底的な研究が必要だと判断しました。最初の研究はハーゲドンの自宅とクロウの動物生理学研究所で行われ、その直後の1922年12月21日、二人は牛の膵臓(すいぞう)から少量のインスリンを抽出することに成功しました。二人はこれには大喜びしました。1923年春にはクロウとハーゲドンが製造したインスリンによって、はじめて糖尿病患者さんが治療を受けました。


ハーゲドンは医師としての診療を辞して、新たに設立したノルディスク インスリン研究所の所長としてインスリンの研究と製造に注力することにしました。同時に二人は北欧で初となるインスリンの販売を開始しました。こうしてノルディスク インスリン研究所は正式に稼動し、1923年はノボ ノルディスクが創設された年ととして今日認識されています。

 

名誉博士号

その後の数十年、ハーゲドンは常に糖尿病治療における革新の最前線にいました。1932年にハーゲドンとアウグスト クロウは、糖尿病に特化した研究・治療センターとして世界的に有名な、ステノ糖尿病センターを設立しました。1936年にはハーゲドンとノーマン イェンセンは、インスリンの効果を持続させることができる物質、プロタミンを発見しました。この発見はセンセーショナルな発見として世界の注目を集めました。

 

1946年にノルディスク インスリン研究所は、プロタミンをインスリンに添加し効果を一定時間持続させられるインスリンを開発しました。これはハーゲドンの名を冠した中間型NPH(Neutral Protamin Hagedorn)インスリンとして、現代でも使用されています。そして1978年にはステノ糖尿病センターの研究施設の一つも、彼の名を冠してハーゲドン研究所と改称されることになりました。

 

1921年にインスリンを発見したトロント大学から、インスリン発見から50周年を記念して名誉博士号を授与される科学者の中にハーゲドンの名が挙げられました。しかし、ハーゲドンは1971年に亡くなり、その名誉を手にすることはできませんでした。

 

アウグスト コンスタット(1870~1939年)

アウグスト コンスタット(1870~1939年)

 

アウグスト コンスタット

コンスタットは薬剤師でした。製薬企業のレオ薬局化学製造所(現レオ ファーマ社)の経営者でもあり、彼の財政支援によりノルディスク インスリン研究所が1923年に設立されました。

 

インスリンの研究を行うための資金が必要であったアウグスト クロウとハンス クリスチャン ハーゲドンは、1922年12月にコンスタットに資金提供を打診しました。コンスタットは最初のインスリン製品に「レオ」―ラテン語でライオン―の名を付けることを引き換えに、その申し入れを受け、研究に必要な費用と、生産開始を支援するための資金を援助しました。

 

研究が開始され、1923年には、クロウとハーゲドンは北欧初のインスリン製剤であるインスリン レオを販売できるようになりました。同研究所は1924年に独立した組織となり、コンスタットは経営陣の一人としてハーゲドンとクロウに加わったのでした。

 

ハラルド ペダーセン(1878~1966年)とトーバル ペダーセン(1887~1961年)

ハラルド ペダーセン(1878~1966年)とトーバル ペダーセン(1887~1961年)

 

ハラルド ペダーセンとトーバル ペダーセン

クロウとハーゲドンが1923年にノルディスク社でインスリンの製造を始めた時、二人はインスリンの生産に必要な機械を製作できるのはハラルド ペダーセンだろうとの意見で一致していました。当初は鍛冶屋であったハラルド ペダーセンはその後に機械工になり、類まれな才能を持つ発明家となりました。作業中に事故に遭って片方の目を失った後、彼は動物生理学研究所において何年にもわたってクロウの下で働いていました。ハラルドの兄弟のトーバル ペダーセンは薬剤師で、デンマークの会社ダンスク ソヤケファブリック社で働いていたところを、1923年の秋にノルディスク社によって雇用され、インスリン生産における化学工程の分析を任されることになりました。

 

しかしながら、兄弟がノルディスク社に勤めた期間は、そう長くは続きませんでした。トーバル ペダーセンはハーゲドンと反りが合わず、1924年4月には二人の不和が顕在化し、ハーゲドンは彼を解雇してしまったのです。ハラルド ペダーセンはクロウとの仕事を楽しんでいたものの、兄弟への忠誠心から彼も辞表を提出するに至りました。

 

兄弟が独立して新会社立ち上げ

兄弟は自分たちでインスリンの製造に取り組んでみることにしました。2人は最高の組み合わせで、1924年の春には安定したインスリン溶液の生産に成功し、その製品には「インスリン ノボ」という名前を付けました。同時にハラルド ペダーセンは、患者さんたちが安心して自分で正しい量のインスリンを注射できるように、専用の注射器「ノボ シリンジ」を設計しました。彼らは自分たちが作った製品を世に出す準備を整えましたが、自分たちで販売もできるかどうか、疑問を抱いていました。そこで彼らはノルディスク社に連絡を取り、提携しようと申し入れたのです。ところが残念ながらクロウとハーゲドンはその申し入れを断わり、ペダーセン兄弟は自分たちで事業を行うことになったのです。

 

兄弟は自分たちの会社をノボ テラピューティスク研究所と名付け、1925年2月16日に2人はデンマークの薬剤師たちに宛てて、インスリン ノボとノボ シリンジが発売になったことを知らせる手紙を送りました。この日をノボ社の設立の日としています。

日本におけるノボ ノルディスクのあゆみ

日本支社は1980年に設立されました。